総大将挨拶



戦国武将生みの母 O.M.M
(尾張、三河、美濃)

 京都は平安時代と室町時代、奈良や鎌倉は文字通り奈良時代や鎌倉時代は誰もがイメ−ジできる。しかしながら我々日本人にとって血肉湧き上がる戦国時代はどこの都市も名乗りを上げていない。その主たる資源を有している愛知、岐阜(尾張、三河、美濃)を武将ふるさとエリアとして、この地域の人々の誇りを郷土の歴史に結び顕在化させ、これまでのような経済力によってではなく郷土愛で地域の活性化を生み出せば官の枠を超え民主導による「まちづくり」「観光」を推進出来ると確信する。

 名古屋市熱田区に源頼朝が生まれ鎌倉幕府を創設、その後承久の変にて熱田大宮司家の所領、三河額田郡が血縁により足利氏に移り矢作に守護所を置く。斯波氏、吉良氏、今川氏、一色氏そして細川氏が生まれ、東西の耳目を持ち北条氏を見限り室町に幕府を開く。

 戦国に至り三英傑が登場し江戸に260年余りの平和を築く。又各地に派遣されたこの地域輩出武将の末裔は幕末に至り大名の80パ−セントを占める。まさに「武将のふるさと」と言っても過言ではない。歴史好き甲冑師として郷土輩出武将顕彰イベントを行っているものとして、戦国と言えば「O.M.M.」と誰もが答えられるものとしたい。
熱田伸道(小川伸夫)
1948年(昭和23年)4月生まれる
1981年(昭和56年)甲冑づくり始める
1991年(平成3年〕甲冑師としてデビュ−
現在に至る

〔社)日本甲冑武具研究保存会東海支部長として古甲冑の発見研究に務め、保存のアドバイスを行う。叉−歴史と甲冑-のテ−マで甲冑見学旅行を行い、なぜ戦いが起きたのか、どんな甲冑が必要だったのかなど討論し支部活動をPRする。叉市民活動として郷土の歴史文化の啓発のため−郷土歴史まつり・水上武者パレ−ド-を主催、地域の活性化を図る。
現在自宅工房には数名が甲冑師目指して研鑽中。

 犬山城御抱具足師 熱田伸道紹介      
                      < 武将のふるさと 愛知より >        

 「当世具足」、戦国時代の甲冑を総してこう呼ぶ。当時の人々が中世の甲冑に対し、新しい形式の甲冑を「当世風」と呼んだことに由来する。古代から身を守る防具として発達した甲冑が、戦国の世になり需要が飛躍的に伸びた結果、簡素かつ防御力が高く、完成度が最大に高まった時代をさす。
 「信長が考案し手先の器用な家臣に命じて作ったのが当世具足の一つ、桶側胴。天文の終わりの頃には今川義元の家臣の松下嘉兵衛が、尾張まで金6両を持って買いに来ているわけだから、その良さは抜群だったんでしょう。以後これが全国的に広まっていくんです。」と話す小川伸夫さんはサラリーマンから転職して20年以上になる。「甲冑は古くは大和(奈良)、山城(京都)から起こり、戦国時代には武将の心得として自ら修理し、関ヶ原の合戦の時には家康さえもそれを行ったといいます。その後、各地の大名が御抱えの甲冑師を持つようになり、特徴ある甲冑が製作されるようになっていったんです。」

 「息子が10歳前後の時、そろそろ元服だし、鎧や兜を着た写真を残してやりたいという気持ちになって探したけれど思うようなものがない。ならばいっそ作ろうかということから始まった。」親から子へ、子から孫へという日本の伝統的な習慣を兜に見合わせ、大切な心を伝え残したかったという。「始めはただ作っただけ。時代考証も何もない。そうしているうちにプロの甲冑師の方と出会い、作っては直し、直しては作りの繰り返しを9年くらいやって、初めていろんなことがおぼろげながら理解できた。」と苦笑する。現在は甲冑の製作と修復以外に、甲冑製作教室や郷土が輩出した武将を紹介する「郷土歴史まつり・水上武者パレード」を主催したりもしている。さらに地域の小学校で甲冑や歴史についての授業を行うなど活動の場は広がる一方だ。「自分の知っている素晴らしいことは他人に伝えることが義務だと思う。熱田は源頼朝生誕の地だから、特にこの地域の子には興味を持ってもらえたら嬉しいね。」甲冑を愛する気持ちがあふれでた。

甲冑工房おがわ  ホームページ
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